ロシアにおける少数民族、言語、文化の多様性(特にモルドヴィン諸語)(日本語)
Языки́ и Культу́ра Ма́лых Наро́дов Росси́и (Осо́бенно Мордо́вские Языки́) (Русский)
Россиясо вишка раськень кель (башка саезь эрзянь ды мокшонь кельтне) (Эрзянь Кель)
Кържа лувксонь ломаттнень кяльсна (мокшень, эрзянь кяльхнень сявомок) (Мокшень Кяль)

民族としてのロシア人はソ連の人口の50.78%を占め[1]、ロシア帝国時代では、人口の45%を占めていた[2]。この人口統計の事実にも関わらず、教育と統治ではロシア語が常に第一言語としての地位を占めていた。現代のロシア連邦では、2010年の人口調査によると、民族的なロシア人は人口の81%をしめており、これによってロシア語の優位性はより強固なものとなっている[3]。今のロシア語における優位性の一つの結果として、多くの少数民族の文化、とりわけ言語が絶滅の危機にさらされている(中には既に絶滅したものもある)[4]。現在のロシア連邦で、ロシア化の危機にさらされている少数民族・言語地域の一つはエルジャ語とモクシャ語が話されているモルドヴィア共和国である。

エルジャ人とモクシャ人は現在のロシア連邦のモルドヴィア共和国(ロシア語ではРеспублика Мордовия、エルジャ語ではЭрзянь ды Мокшонь Масторось、モクシャ語ではМордовия Республиксь)とその周辺に居住するウラル系の少数民族である。エルジャ人は現在モルドヴィアの東部とニジニ・ノヴゴロド(エルジャ語ではАлоош)の辺りに多くが住み、モクシャ人はモルドヴィアの西部—特にコヴィルキノ(モクシャ語ではЛашма)とクラスノスロボーツク(モクシャ語ではОш)の辺り—に多くが住む。エルジャ人とモクシャ人は両方ともウラル系の民族であり、深い関わりを持つモルドヴィン諸民族と呼べるが、しばしば『モルドヴィン人』や『モルドヴァ人』(ロシア語ではМордвинとМордва)などと誤って一つの民族と称されている[5]。 したがって、紀元1千年紀の間、エルジャ語とモクシャ語が二つの言語に分かれたにも関わらず、誤って二つの方言を持つ「モルドヴィン語」と呼ばれることもよくある[6]。エルジャ人とモクシャ人が話すエルジャ語とモクシャ語—二つのモルドヴィン諸語—は今絶滅の危機に瀕している。

歴史上、エルジャ語とモクシャ語の話者の人口はロシア帝国とソ連によるロシア化政策により、今でも徐々に減り続けている。エルジャ人とモクシャ人はロシアのヴォルガ地方に属する主要な古い民族の一つであり、ローマ帝国の歴史家ヨルダネスが6世紀に書いた「Getica」と言う著作で、『Imniscaris』(現在のマリ人と思われる)と共に初めて紹介され、エルジャ人とモクシャ人の祖先は3千年前からオカ川、スラ川、とヴォルガ川周辺に居たと思われている[7]。だが、エルジャ人とモクシャ人の歴史のほとんどは異民族によっての抑圧の記録である[8]。先ず、3世紀に東ゴート人に征服され、貢ぎ物を払う義務が与えられ、その時以来、エルジャ人とモクシャ人はほぼ必ず外国の政権に支配されていた[9]。その上、「Getica」によってはゴート人のエルマナリク王の支配下の時に『Mordens』と言う民族名が存在し、これによって「モルドヴィン人」や「モルドヴァ人」の誤った民族名が生まれたと言う説がある[10]。9世紀から12世紀にはヴォルガ・ブルガール王国に攻められ、同時にキエヴルーシとノヴゴロド共和国のスラヴ人がエルジャとモクシャの地域に拡大し始め、これによって大国の文化への同化も押し付けられ、エルジャとモクシャの伝統生活が妨害された。さらに、エルジャ人とモクシャ人はお互いに戦った時もある。1220年代では、ウラジーミル・スーズダーリ大公国のユーリー2世(ロシア語ではЮрий II)と同盟関係であったモクシャ王国(モクシャ語ではМокша Мастор)のプレシュ王(モクシャ語ではКаназор Пуреш)はエルジャ人と戦った。モンゴル帝国が13世紀と14世紀にヴォルガ地方へ侵入した時には、ヴォルガ・ブルガールの属国であったエルジャ国(エルジャ語ではЭрзянь Мастор)のプルガズ大公(エルジャ語ではИнязор Пургаз)は1237年にモンゴル軍を敗北させたが、翌年の冬にモンゴル帝国に負けた。モンゴル帝国は、1236年にモクシャ王国を強制的に属国にし、1241年のレグニツァの戦い直前にプレシュ王はモンゴル帝国に抵抗する計画を作っていたが、モンゴル軍にばれ、暗殺された。14世紀と16世紀の間には、モスクワ大公国とカザン汗国との間の戦争が頻繁に起こり、ロシア人とタタール人の間の戦場に住んでいたエルジャ人とモクシャ人は多くの苦労を経験し、1552年からエルジャとモクシャの地方のほぼ全体がモスクワ大公国に征服された。モスクワ大公国の勃興と帝政ロシアの領土拡大により、エルジャ人とモクシャ人は何百年にも亘ってロシア化の一途をたどって来た(今のモルドヴィアでも続いていると言える)。このロシア化の方法には宗教的な迫害(ロシア正教がエルジャとモクシャの伝統宗教の信者達に改宗を強要)、虐殺、迫害、飢餓、モルドヴィン諸語に対する禁圧、ロシア語の語彙によるエルジャ語とモクシャ語への侵略、とモルドヴィアの地域へのロシア人の入植、などがある[11][12]。ロシア帝国がコサック人の盗賊スチェパン・ラージン(ロシア語ではСтепан Тимофеевич Разин)による1671年の動乱を弾圧した後、非ロシア系民族のロシア化とキリスト教の押しつけが激しくなり、エルジャ人とモクシャ人の1割は虐殺され、多くのエルジャ人とモクシャ人(人口の約6割)は宗教上の迫害を逃げるため集団移住を行い、エルジャ人とモクシャ人は四散され、これの結果、現在のエルジャ人とモクシャ人の人口のわずか3分の1がモルドヴィア共和国に居住し、民族の分散のため言語と文化を維持するのは厳しくなった[13][14]。

1917年のロシア革命とそれによってのロシア内戦では、モルドヴィアの地域は戦争の始まりからボルシェヴィキに支配されていたが、多くのエルジャ人とモクシャ人は1918年まで存在したイデル・ウラル連邦(沢山の非ロシア系の民族が合成した伝統文化・言語の保存の目的で成立された国)の一部として戦った。ロシア内戦後、ソビエト連邦が設立され、1934年にモルドヴィア自治ソビエト社会主義共和国(ロシア語ではМордовская Автономная Советская Социалистическая Республика、エルジャ語ではМордовской Автономной Советской Социалистической Республикась又はЭрзянь ды Мокшонь Автономной Советской Социалистической Республикась、モクシャ語ではМордовскяй Автономнай Советскяй Социалистическяй Республика)が構成された。20年代では、ソビエト政府の「Коренизация」政策により、エルジャ人とモクシャ人などの多くの少数民族の文化と言語が政治的な支援と教育面の支えを受け、少数民族は殷賑な時代を経験した(この時代に初めてエルジャ語とモクシャ語を教育面で教えるための教科書が書かれた)[15]。だが、30年代の後半から激しいロシア化が進み、ソ連の秘密警察(НКВД)による虐殺とグーラーグへの強制移住も行い、エルジャ人とモクシャ人の文化と言語はさらに絶滅の危機に瀕するようになった[16]。ヨシフ・スターリンの死後、この激しいロシア化の程度は減少したが、ソ連崩壊まで続き、90年代のモルドヴィン諸語の話者の数とエルジャ人とモクシャ人の人口を今のデータに比べると、今のロシア連邦でも事実上続いていると思える[17]。

今のモルドヴィア共和国の人口は約83万人であり、この内53%はロシア人、40%はエルジャ人とモクシャ人。モルドヴィン諸語は一応維持されているが、話者の数は徐々に減少しており、モルドヴィアの都市では話す人は少なく(田舎では話者はまだ沢山おり、モルドヴィン諸語は今日でも維持されている)、歴史上の集団移住と迫害に加え、エルジャ人とモクシャ人の人口も減少している[18]。エルジャ人とモクシャ人に対する無知な差別も続いている可能性もある。この無知な差別に繋がっている可能性の例えの一つは2009年にロシアの中央政府がエルジャ人とモクシャ人を『助ける』目的として無理矢理二つの民族を『モルドヴィン人』として融合させることを提案した時である(このような行動はエルジャ人とモクシャ人の文化をより早くロシア化させることになるリスクが圧倒的に高い)[19]。2010年ではモクシャ語とエルジャ語は義務教育でなくなり、生徒の親が頼まない限り、多くの学校ではエルジャ語とモクシャ語を教えないようになっている[20]。だが、2014年の11月に、モルドヴィアの首都サランスク(エルジャ語ではСаран Ош、モクシャ語ではСаранош)の市長はエルジャ語とモクシャ語の教育を再び義務化にすることとモルドヴィン諸語を教育上での支援を増やすことを提案した[21]。その上、エルジャ人の伝統宗教は既にほとんど消滅されたが、モクシャ人の伝統宗教(モクシャ語ではМокша Вай)は残り、エルジャとモクシャの伝統文化の多くもまだ続いているからエルジャとモクシャはまだ消えないと安心出来る。さらに、2015年の夏にエストニアのエストニア音楽アカデミー(エストニア語ではEesti Muusika- ja Teatriakadeemia)のŽanna Pärtlas教授がモクシャ人とエルジャ人の伝統的な歌のポリフォニーについてのフィルドワークをするため、モルドヴィアに滞在し、いくつかのエルジャ人とモクシャ人の村で研究を行なった。Pärtlas教授の研究助手(私の友人でもある)Timo Kalmuにより、この研究記録を手に入れた:
私はモルドヴィアから帰国したばかりですが、あなたの主張と少し違うことを目撃した。いくつかの民族村で古いポリフォニーの歌を記録したが、その結果これらの村は、ポリフォニーの歌が守られているが、少し特殊な状況であったかもしれないと言うことが分かった。3つのモクシャの村(スタラーヤ・テリズモグ、レヴジャ、オガリョーヴォ)といくつかのエルジャの村(デゥビェンキ、ポヴォディモヴォ、チンディヤルノヴォ、アルダートヴォ、モルガ、ポドリェスナル・タヴラ、ムラン)に滞在した。私の感覚で最もロシア化されてないエルジャの村はチンディヤルノヴォとモルガであった。これらの村では若者が古い歌を歌ったり子供にエルジャ語を話すのを見た。『もちろん』非愛国な罪であるかのようにモルドヴィン諸語で子供に話したり歌ったりしないと言う人も多かったが、事実上モルドヴィン諸語を話す人は多かった。ムランの最も年を取ったご婦人は、サランスクから来た学生たちとのインタービューでエルジャ語とロシア語の半分半分で応答していた。そして、これは最も驚いたことであるが、40代以上の人々は普段エルジャ語を誠に流暢に話すことである。それに対して、私たちが訪れた3つのモクシャの村では言語と歌は我々が現地であった数人の子供達の間でさえ、驚くほど維持されていた。私はサランスクでも数人のエルジャとモクシャの(文化・言語関係の)活動家と会見しました。これらの活動家は、銀行でエルジャ語でロシア人に話しかけたが、そこに全く敵意は現れなかった。ロシア人は通常モルドヴィン諸語を話さないが、それについての知識を持っている。先住民の文化は地域のアイデンテティーのため尊重されているようである。私が会った民族の歌関係の学生や研究者達の中にはロシア系の人が沢山いた。あえて自分のモルドヴィン諸民族との経験を概括するとしたら、エルジャ人はロシア人と仲が良いとしばしば言われているとしても、彼らは自分達の民族主義と言うものをより自覚していると言えるでしょう。モクシャ人はこのようなことを言わなかったが、自らロシアの人口の一部であるモクシャ人として自らを受け入れているようである。私に取っては、一般として、モクシャ人の文化の方がはっきりし、より強く維持されているようである。
このような現状により、エルジャとモクシャ民族の言語と文化の回復が可能だと思うことが出来る。

旧ソ連では民族が200個以上存在し、今のロシア連邦でも民族は170個以上ある[22]。エルジャ人とモクシャ人が存在するモルドヴィア共和国とその周辺はロシア化から被害を受けた民族地域のわずか一つである。非ロシア系民族で言語と文化を生き残らせるため苦心している民族地域は沢山あり、モルドヴィン諸語と同じように言語を維持しようとしている。これの一つはカスピ海の海岸に存在するカルムイキア。カルムイキア、又はカルムイク共和国(カルムイク語ではХальмг Таңһч)はヨーロッパの唯一の仏教国であり、モンゴル系のカルムイク人はモンゴル語族のカルムイク語を話す。カルムイク語もモルドヴィン諸語と同じくソ連とロシア帝国のロシア化政策と虐殺により、話者が減少し、絶滅の危機に瀕している。カルムイキアでは、モルドヴィアに似ている文化・言語・宗教回復運動が起こり、カルムイク語は復活している[23][24]。結論として、ロシアは様々な魅力を秘めた興味のつきない国であるが、ロシア人の人口はロシア帝国時代は45%、ソ連時代にあっても、わずか50.78%に過ぎなかったことにより、今のロシアも多民族国家であり、ロシアのことを考えた時、ロシア人以外の民族のことも考えることが重要である。


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[8] Vaba, L & Viikberg, J. (1996). MORDVINS (Erzyas and Mokshas). The Endangered Uralic Peoples Short Reference Guide. Retrieved from: www. suri. ee/eup/mordvins. html

[9] Ibid.

[10] Jordanes. (551 A.D.). Getica. XIII 116.

[11] Kreindler, I. (1985, Jan.~Mar.). The Mordovians A Doomed Soviet Nationality? Cahiers du Monde russe et soviétique, XXVI (1). PP. 43~62.

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[14] Vaba, L & Viikberg, J. (1996). MORDVINS (Erzyas and Mokshas). The Endangered Uralic Peoples Short Reference Guide. Retrieved from: www. suri. ee/eup/mordvins. html

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